東洋紡グループの130年 (1882年~1960年代)

(CSR報告書2012より)

設立~合成繊維への取り組み、総合繊維メーカーへ展開し、国内最大規模の紡績企業に

企業理念の「順理則裕」企業理念の「順理則裕」

明治維新から10数年後の1882年、東洋紡の基盤の一つである大阪紡が、イギリスの近代的な生産システムを導入した日本最初の大紡績工場として誕生しました。
エジソンが白熱電球を実用化させてわずか3年後のことですが、工場の照明に電灯が導入されました。これも民間では日本で初めてのことでした。

  • 大阪紡 三軒家3号工場(1889年完成)大阪紡 三軒家3号工場(1889年完成)
  • 大阪紡、操業の様子大阪紡、操業の様子
1914年、三重紡と大阪紡の合併により東洋紡が創立されます。この合併を推進し、名付け親となったのは両社の相談役であり、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一です。
「東洋一の大紡績に」という名前に込められた思いとともに、東洋紡は1927年にレーヨンの生産を開始するなど合成繊維の開発にも着手して総合繊維企業への道を歩み、1930年代には、世界最大規模の紡績企業に躍進します。
渋沢栄一渋沢栄一
1941年にはレーヨンの原料であるパルプ事業へ進出し、その環境汚染対策として、酵母培養によるパルプ廃液処理の研究に着手します。
これがバイオ事業進出のきっかけとなりました。
1948年、酵母培養槽1948年、酵母培養槽
第二次世界大戦後、東洋紡は日本経済復興の中核産業の担い手として復活します。
1950年代にはアクリル繊維、ポリエステル繊維など石油化学の技術を用いた合成繊維へ積極的に進出して、第1の変革期を迎えました。
そして1966年、呉羽紡と合併してナイロン事業へ進出し、国内最大規模の紡績企業となりました。
呉羽紡との合併を調印呉羽紡との合併を調印
年表[1882年~1960年代]

特集:東洋紡グループの130年